天竜二俣 岡崎三郎信康~本田総一郎

10月23日火曜日 天気は薄曇りでしたが

またまた相棒のホンダXLRにまたがり

昭和の香りが色濃く残る天竜二俣を旅しました。

ここは世界のホンダの創始者本田宗一郎氏

の故郷でもあることから 本田ファンの自分としては一度ゆっくり訪れたい場所でした。

街には彼の通った小学校の近くに記念館もあります。

そしてこの地で忘れてはならないのが、家康の長男

岡崎三郎信康の自刃した二俣城があることです。

 

あまりにも有名な戦国時代の悲劇の一つですが

信長の命により我が息子が21歳で

切腹せざるを得なかった

父家康の心中はいかばかりか ということで

二俣城と鳥羽山城祉を訪ねました。

それから信康が祀られる青龍寺の信康廟

にも手を合わせ往時の悲劇に思いを馳せました。

 

最近昭和の香りが残る素敵な駅が次々と近代的な冷たい感じの

駅にたてかえられてしまい残念で仕方なかったのですが、この駅は

ぽっぽやの様な映画の撮影もできそうな感じの駅で

是非このまま維持していただきたいと願います。

駅のすぐわきにあるラーメン屋さん。

感でここのラーメンはうまいのではと思い醤油ラーメン600円を

食しました。思ったとおり昭和ラーメンそのものでおいしかった。

写真を撮らなかった事を後悔!

残念ながら休館日でした。

誰もいない静寂の中の二俣城 この地で21歳の信康は自刃しました。

彼が生きていれば関ヶ原の合戦の頃40代。間違いなく軍功をあげ

2代将軍になっていたことでしょう。そうなれば江戸幕府やその後の日本にも

間違いなくなんらかの影響を与えていたと思われます。

信長が最も恐れた若者信康、その死はあまりにも惜しいというほかありません。

 

二俣城のすぐ目の前の小高い丘が鳥羽山城。天竜川の天然の堀をめぐらし

この場所が如何に戦略上重要な場所であったかが伺えます。展望台からは浜松方面が

一望できます。

信康が祀られている清龍寺(本来は龍にサンズイが付きます)あちらこちらに

葵の紋章が散見できます。

清龍寺にある梵鐘、この鐘を本田宗一郎少年がいたずらで鳴らし

近所のわんぱく小僧がが境内を走り回っている声が聞こえるようでした。

現代 この寺は子どもの姿も声もなく、しんと静寂の中にあります。

私はそっと綱を取り一回小さく鳴らしてみました。

 

岡林信康という日本フォークのレジェンドがいますが

彼の名前は松平信康から取ったのだろうか?

帰途にふと想いました。